CRAFTMAN:
Kimio Ogawa
CATEGORY:
Shigaraki Yaki
POTTERY:
Hissan Toen
LOCATION:
Shiga, Koga City
CRAFTMAN:
Kimio Ogawa
CATEGORY:
Shigaraki Yaki
POTTERY:
Hissan Toen
LOCATION:
Shiga, Koga City
信楽焼の窯元の一つが、1870年頃、小川三之丞が創業した「菱三陶園」です。2代目三之助は火鉢などの雑器の製作を手がけ、登り窯での大量生産のノウハウを蓄積し、釉薬を開発しました。3代目三治は雑器から転換し、茶道具の製作を開始。作家としても活動し、のちに表千家、裏千家、武者小路千家の三千家の書付となりました。4代目三代治は花器の製作を開始。のちに池坊、小原流などの家元の指定の花器となりました。また並行して、業務用食器の製作も手がけました。 そして現在は、公男さんが5代目を継いでいます。家業を継いだ経緯や、ものづくりのこだわり、Wired Beans「生涯を添い遂げるマグ」との取り組みなど、さまざまなお話を聞かせていただきました。
窯元に生まれると、高校を卒業してすぐに家業を継ぐ人も少なくありませんが、公男さんは大学を卒業して、25歳まで大企業に勤め、1年間、京都の窯業試験場に通い、ようやく窯に入りました。
「自分は、生まれたときからやきものをやるように育てられているから、継ぐとか継がないとか考える余地もなかったんです。ただ一回、外に出てみたかった。結果的に、会社員時代、すごい人たちにいっぱい出会えてよかったと思っています。どうしたらお客様に満足していただけるかとか、今でも影響を受けていますよ」
33歳のとき、父親から当主を継ぐと、料亭や高級レストランなどのための業務用食器の製造、販売に専念するようになりました。それは、代々の茶道具や花器の伝統をベースに、さらに顧客のニーズに合わせて、技術を発展させていくことを意味していました。
「料理屋さんの場合、たいていはオリジナルの食器で、『30個、このかたち、この色で』というふうに注文が入るので、基本的にろくろを使って手でつくることが多いですね。でも、Wired Beansさんの場合は、デザイナーのかたちを正確につくることが求められたので、型を使いました。お客様に合わせてつくり方も変えますよ」
菱三陶園では製法だけでなく、土も釉薬も公男さんがブレンドしたり、年に400回ほど行う焼成についても緻密に温度をコントロールしたりと、日々、やきものづくりの研究に余念がありません。そうしたなか、以前、お客様が持ち込んだ割れたうつわがきっかけで始まったのが、再生陶器です。
「お店で使ってくれていたお客様が、『小川さん、陶器割れてしもうてな。一緒に考えて、一生懸命つくったやつやから捨てられへんのよね』って持ってきて。金継ぎしても、業務用で使ってると割れるし、それやったら割れたものを微粉末にして再生陶器にしよう、という話になりました。微粉末にしたものを既存の粘土に混ぜてブレンドするんですよ。この規模でこんなことをやってるのは全国でもうちだけだと思います」
今では、割れた食器から、貝殻、牛の骨、ガラスまで、いろんなものが再生陶器の原料になっているそうです。
菱三陶園のクライアントは、国内だけではありません。世界のベストレストランに名を連ねるような有名店でも使われています。それらの仕事の一つに、有名なフランスのシャンパンのブランドが経営するレストランがあります。
「世界中のVIPをもてなすためのレストランで、振る舞われる料理をのせるテーブルウェアをつくったんです。実はそれらの陶器には、シャンパンの容器の原料のガラスが20%くらい含まれています。僕は、誰もやらないことをやりたいと思っていたのですが、そのブランドも同じ考えでした。さらに、アップサイクル(廃棄物や不要品に新しい価値を与えること)とか、SDGs(2030年までに達成すべき持続可能な開発のための17の目標)の取り組みについては、ヨーロッパのブランドは熱心ですしね。たいへん喜んでもらえました」
ヨーロッパにも多くの陶磁器のブランドがあるなか、どうして信楽焼の一窯元が選ばれたのか、もう少しくわしくうかがいました。
「2013年、ユネスコ無形文化遺産に和食が登録されたのは追い風になりました。うちがヨーロッパの展示会に出展するようになったのは2015年で、バルセロナの有名レストランの食器などもつくらせていただきました。シャンパンのブランドとは、2023年1月のフランス・リヨンのシラ国際外食産業見本市で出会いました。世界一の食の見本市なんですが、日本の企業で単独で出展しているのは3社だけで、窯元はうちだけでした。僕たちは小さいブースだったんですが、そのブランドの料理人が見つけてくれて。『プティ(小さい)なブースを見つけた自分はえらい』って笑って、みんなに自慢してました。うつわの土の風合い、質感に惹かれたと言ってくれましたね」
2024年1月1日に発生した能登半島地震は記憶に新しいですが、公男さんはボランティアに駆けつけていました。食器を担いで行っただけでなく、帰りには、地元の方の許可をもらったうえで、割れた能登瓦を回収してトラックに乗せて持ち帰りました。
「能登瓦を微粉末にして、瓦の黒光りの色をモチーフに釉薬を調合し、うつわをつくって被災地に届けました。そして今は、高級ホテルやインテリアショップと話をしながら商品化を進めています。その売上の一部を、被災地のボランティア活動に役立ててほしいと思っています」
ここでも再生陶器の技術をベースに、公男さんの発想力、行動力が発揮されているのです。
写真上/能登瓦の破片
写真下/こちらの機械を使って微粉末に
Wired Beansのオファーを受け、マグの発売が開始されたのは、2021年のこと。公男さんに、仕事を引き受けたきっかけについてお聞きしました。
「それはもう、Wired Beansの三輪社長の存在ですよ。僕はやきものをつくる人間のなかでは変わってると思いますが、三輪社長はもっとぶっ飛んでるように感じました。IT企業なのに、マグをつくるのも驚いたし、割れても生涯補償するなんて、うつわの世界ではありえないことです。でもだからこそ、新しい市場をつくっていけるんですよね。そうした姿勢に共感したんです」
現在、菱三陶園では、いぶし黒のなかに金色の斑紋が特徴の「金彩」と、天然の藁灰が原料の釉薬を使った「小麦」の2種類を製作しています。コーヒーをはじめ、注がれる飲みものを引き立ててくれます。
日本六古窯と呼ばれ、日本最古の陶器製造地の一つとして1300年の歴史を持つ信楽焼(しがらきやき)。生産元の菱三陶園は、古くから続く信楽焼の伝統を守りながらも時代のニーズに合わせて現代の技術と感性を取り入れた「ものづくり」を大切にしています。
本物に会いに行く
最後に、公男さんがものづくりにおいて大切にしていることについて語っていただきました。
「僕は、人と同じことをやっているだけではおもしろくない。常に革新的でありたいと思っています。そのためには、本物と出会うことが大切。僕はキャンピングカーでいろんなところに行くんですが、それは興味があったり、見てみたくなったり、会いたかったりすれば、いつでも出発できるから。能登に行けたのも、キャンピングカーがあったからです。もちろん、伝統にも感謝しています。僕らがやっていることのベースには、おじいちゃんや親父がやってきたことがあって、彼らが残してくれた土を使って、彼らに負けないものをつくろうと頑張っているわけですからね」