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生涯を添い遂げるマグ

MUG. hand made by pottery craftsman

Craftman #02
新庄東山焼
六代・弥瓶
新庄東山焼・弥瓶窯
山形県新庄市

CRAFTMAN:
Rokudai Yahei

CATEGORY:
Shinjo Higashiyama Yaki

POTTERY:
Yaheigama

LOCATION:
Yamagata, Shinjo City

photo

日用の食器から内装材まで
陶器の可能性を追求する

新庄東山焼の始まりの物語
山形県新庄市にある新庄東山焼。その成立はユニークで、一つの物語のようです。
初代・涌井弥兵衛は、実は新潟県の生まれで、各地でやきものの修練を重ね、やがて秋田藩に召し抱えられ、寺内という場所の窯場の棟梁をしていました。さらに自分の腕を磨きたいと考えた弥兵衛は、京都への旅を企てます。その道中、戸沢家の新庄藩に立ち寄り、関所の役人と話していたところ、「やきものをやらないか」と持ちかけられました。なんでも、当時の新庄藩は農業のほかに産業がなく、職人が通ったら必ず話を聞くように、お殿様から命ぜられていたそうなのです。土は豊富だし、瓦を焼いた場所もあり、他国にはない独特のものをつくってほしいと言われ、さらに、二人扶持九俵の禄高を与えられました。結局、京都行きを断念して、1841(天保12)年、新庄東山焼・弥瓶窯は開窯に至ったのです。
1841(天保12)年の創業から、当地に窯を構える新庄東山焼・弥瓶窯。
かつては分家や独立した窯元もありましたが、現在は新庄東山焼の唯一の窯元です。

柳宗悦も賞賛した「海鼠釉」

2代・弥瓶は、明治政府の殖産興業政策に応じるかたちで、第1回内国勧業博覧会(1877年)をはじめ、各種の博覧会に作品を出展するなど、技術の向上に努めました。
3代・弥瓶は、陶土の特性を活かして、さまざまな日用雑器を製作し、新庄東山焼の名を高めました。また、3代が完成させた海鼠釉は、“出羽の雪のかげりの色”とたとえられる澄んだ青みで、現在に至るまで同焼の代名詞となっています。これらのやきものに触れた、民藝の生みの親である柳宗悦は、著書『手仕事の日本』のなかで、「美しい青味のある海鼠釉を用いて土鍋だとか湯通だとか甕だとかを焼きます。(中略)土鍋としては日本中のもので最も美しいでしょうか」と賞賛しています。
4代・弥瓶は、益子や笠間で研修するとともに、柳や河井寛次郎の指導を受け、窯の名を不動のものとしました。また、1970年の大阪万博に県の代表として作品を出品しました。 5代・弥瓶は、卓越した技能者として県知事より表彰されるなど、作り手として評価されるかたわら、地域の観光や経済にも貢献しました。

そして、現在は6代・弥瓶が、息子の大介さんとともに作陶に励んでいます。



26歳、作陶の道へ

6代・弥瓶は、広島県呉市で生まれました。東京で会社員をしていましたが、先代の長女の賀代子さんと結婚して婿養子に入り、作陶の道へ入りました。26歳のときのことです。はじめての場所での、はじめてのやきものづくり。抵抗はなかったのでしょうか。

「自分で言うのもなんですが、もともと手先は器用な方で。中学校のとき、ある授業が退屈で、親に買ってもらった腕時計をバラバラにして机に部品を並べていたんですよ。そしたら先生が、『何やってんだ?』って聞いてきたので、『時計を分解してました』って答えたんです。当然怒られると思ったら、『組み立てられるのか?』って。『できると思います』って答えたら、『授業が終わるまでにやってみろ』と。それで、組み上げて動いているのを見せたら、『たいしたものじゃないか』って褒めてくれたんです。すごい先生だ、って思って、それからはこの先生の授業はちゃんと聞くようになりましたね」
しかし、いくら6代・弥瓶が器用といっても、10代から始める人も多いのが、やきものの世界。職人のかたわらで見て覚えようとしましたが、なかなかうまくいきません。

「職人さんに聞いても、方言がよくわからないし、口下手だから、『こげよ(こうだ)』って言うだけで。隣で話しかけられるのも、説明するのも面倒なわけです。それで仕方ないから、小さなものから始めようと思って、ぐい呑みをつくり始めました。なかなかうまくいかなかったんですけど、とりあえず全種類のうつわを1000個ずつつくろうと。まずは、ぐい呑み、次に皿、すり鉢というふうに。半年くらいで終わって、またぐい呑みに戻ったら、ものすごくつくりやすかったんですよ。やっぱり数をつくらないと、手が覚えてくれない。これこそが、職人の仕事ですよね」


職人と作家の二足の草鞋

職人として数物はつくれるようになりましたが、同時にこれだけでは続けていけないと感じたという6代・弥瓶。数ではなく、一つの作品で勝負する作家の道も模索し始めました。

「作家として、魅力あるものとは何か、というのが自分のテーマになりました。幸いにもやきものの本がいっぱいあったので、それを読んで勉強して、備前焼や信楽焼など、うちの粘土を使って模倣しました。次に、それが実際にどう評価されるのか、ということで、地元の新庄や東京、故郷の広島で個展もさせてもらいました。『来年もやりましょう』などと声をかけていただいたり、幸運な流れのなかにいさせてもらったと思いますね」

そして、お客様の声は、他の職人たちと共有して日々のものづくりに活かし、同時に、一人の作家として作品を追求してきました。さらに、企業からの依頼で、土管や、水を浄化する煉瓦、岩盤浴の床のプレートなど、うつわ以外のものもつくり続けています。こうした柔軟さもまた、新庄東山焼の伝統なのでしょう。

「昔ながらのものをずっとつくること、継承することは大事なんですが、新しい伝統をつくっていかないと終わってしまうだろうな、とも思っているのです」

売店。職人の立場で製作した食器などから、
作家としての作品まで並びます。もちろん購入できます。
陶土へのこだわり

時代に合わせて変化することを厭わないのが、新庄東山焼の伝統ですが、初代からまったく変えていないものがあります。それは初代が惹かれ、定住、開窯を決めた大きなきっかけとなった土の存在です。使いづらい土でもありますが、ここは譲れないそうです。

「今でも敷地内で掘っています。鉄分が多いので、高い温度で焼くと、溶けたり、変形したり、ピンホールができたりするんですよ。さらに、よその土はだいたい15%ですが、うちは焼くと20%ほど縮むんです。扱いは難しいですが、そのぶん硬く、丈夫な陶器になります。よその土と混ぜれば使いやすい土になり、歩留まりもよくなると思うんですけど、そうすると、新庄のうつわではなくなるので、そこはこだわりを持ってやっています」

釉薬がけの作業。こちらの赤茶の液は黒になる釉薬。高台の部分には蝋をひいて、釉薬をはじくようにしています。

Wired Beans
「生涯を添い遂げるマグ」との
取り組み

Wired Beansから依頼を受けたときのことをうかがいました。

「同じかたちのマグカップを全国の窯元でつくると聞いたとき、うちが一緒にやれるんだろうか、という思いはありましたけど、やっぱり何か新しいことを、という気持ちでお受けしました。同じ大きさ、かたちだから、違いは色や柄で勝負しないといけない。非常に勉強になりましたよ」

新庄東山焼の生涯を添い遂げるマグは、濃淡が異なる3色の青が特徴ですが、この釉薬がけには苦労されたそう。

「うちの釉薬は非常に濃いんですよ。特に、ブルーは1230℃という高温で焼かないといけないので、釉薬が下まで流れてくっつく、ということが起きるんですね。最初のうちは、女房から『こんなに捨てて、どうするの?』と言われるくらい、捨てていましたから。そこで釉薬を少し薄くしたり、試行錯誤を繰り返した結果、ブルーとネイビーという2色ができたんです」

今はその2色にライトブルーを加えた3色で展開しています。ちなみに色の呼称は、一番濃い青をWired Beansではネイビー、新庄東山焼では黒海鼠、同様に、真ん中の青をブルー/海鼠、一番薄い青をライトブルー/ミントと呼んでいるそう。このライトブルーは、偶然から生まれたのだとか。

「うちの者に、これとこれを混ぜといてね、とお願いして外出したんですよ。それで戻ってきて焼き上げたら、全然違う色になって。でも、綺麗だなと思って。ただ、作業した者に聞いても、何を混ぜたか覚えていない。そこで、自分でいろいろと試した結果、再現できたんです。偶然の産物なんですよ」

腕時計を分解して組み立てたときのように、ワクワクしながら、あらゆる組み合わせを試して楽しんでいたのだろうな、とその様子が目に浮かぶようです。

ワンクッション置いて、白い液のなかへ。こちらは焼きあがると青になる釉薬です。
ものづくりのこと、これからのことについて、たくさんお話しいただきました。
ライフワークのテーマを探して

子どもの頃のまま、好奇心を持ってものづくりを続けている6代・弥瓶に、これからのことについて聞いてみました。

「やっぱり、今の時代にあったものをどうやって見つけていくか、絶えずアンテナを張ってやっていかないとだめだと思いますし、新しい依頼が来たときでも、断るんじゃなくて、頑張ってみます、って言うようにしています。頑張ったら、だいたいできるんですよ。個人としては、もう70歳になるので、ほんとうに自分がやりたいものをつくっていきたいと、それが何なのかを模索していかないと、という思いでいます。ただ、ライフワークのテーマは、まだ見つけられてないですね」

新庄東山焼・弥瓶窯
Shinjo Higashiyamayaki Yaheigama
住所

〒996-0002 山形県新庄市金沢1441

TEL

0233-22-3122

WEB

http://www.higashiyamayaki.com

生涯を添い遂げるマグ 新庄東山焼

東山とは山形県新庄市東部の丘陵地帯の通称で、集落の地質は厚い粘土層で覆われています。東山焼の開祖・涌井弥兵衛は越後出身の陶工で、修行で各地を遍歴するうちに東山の陶土に惚れ込み、天保十二年に新庄戸沢藩御用窯として開窯。出羽の雪のかげりの色と言われる澄んだ青みの「なまこ釉」が特徴です。